芹沢高志+港千尋[対談]

五感をほぐす温泉文学『別府』


別府現代芸術フェスティバル2012「混浴温泉世界」の

コンセプトブックとして書かれた『別府』を、ABI+P3の2冊目として刊行するにあたり、

著者でP3統括ディレクターの芹沢高志とABIディレクターの港千尋が対談を行いました。

ここでは『別府』が生まれた経緯などについて語り合った対談の前半部分をご紹介します。

 

*対談記録全文は、ABI+P3ミニブックレット「 芹沢高志+港千尋[対談]五感をほぐす温泉文学『別府』」にまとめ、現在、P3オンラインショップから『別府』をご購入いただいたみなさまに同封してお送りしています。(ブックレットの在庫がなくなり次第終了となります。)https://p3shop.base.ec/items/35524002

P3オンラインショップにてミニブックレット 単品での販売も開始しました(2020/12/18)https://p3shop.base.ec/items/37451000 


【1】五感をほぐす温泉文学

ウスギモクセイには雌雄の株があって、冨士屋のこの樹はオスだという。ところどころに残る花は淡い黄色、というかクリーム色で、なりふり構わず鼻を押し込めば、品のいい甘さが鼻腔を満たす。(『別府』p69)


港 今回久しぶりに『別府』をパラパラとめくってみたんですけど、あらためて別府っていう名前がいいですよね。「別」って惹かれますね。どうして別府っていうんでしょうね。

 

芹沢 僕も別府の人にいろいろと聞いたんですよ。「別」だから、英語のanotherかな、どこか別世界みたいなことなのかなと。ただ、聞いた範囲では、どうもそうではないみたいでしたね。

 

港 そうなんですね。僕なんかは映画の『アルタード・ステーツ(Altered States)』な響きを感じてしまうんですよね。今回再刊するにあたり、手を入れたりはしたのですか。

 

芹沢 ほんの少しだけ手を入れたけど、基本は同じですね。

 

港 そうなんですね。読んでいると、銀木犀の香りの話が出てきますね。ちょうど先週ぐらいからかな、今、空気が柔らかくなってきて、とってもいい季節ですよね。ああそうか十月かと思ってね。そこから、わ~っと、記憶や想像が広がっていくような感じがありました。

 銀木犀の香りだけじゃなく、こんな美味しいものがあるとか、音が聞こえるとかね。例えば白いスーツの女性が歩く、その後ろ姿を眺める場面が出てきますが、そうは書いてないのに歩いて行った後に、もしかしたら香水かなにかの香りがしていたんじゃないのか。そんな気にさせるような、五感を少しずつ開放してくれる感じがありました。書いているときに、どこまで意識されていたのかわかりませんが。

 

芹沢 そうですね。今回読み返していて、朝どこからか風呂桶の「カラン」という音が聞こえてきて、別府はやっぱり湯の町なんだなということを思い出す、というようなことを自分が書いていたのを読んで、ああそうか、別府という場所の雰囲気のようなものに惹かれて、見たものだけじゃなくて、音とか、匂いとか、感じたことをいろいろと書き込んでいたんだなと思いました。

 

港 読みながらもうひとつ思ったのは、もちろんスタイルも内容も芹沢さんのオリジナルな書き方なんですけども、この本が別府ということで、やっぱり背景に日本には温泉文学ってあるでしょう。日本独自のジャンルじゃないのかなと僕は思っていて、短編もあれば、長編もあって、こんなにたくさん温泉を舞台に書かれた小説やそれを台本にした映画が作られてきた国ってあんまりないんじゃないかなと。それぐらいみんな温泉が好きで。そして温泉ではいつもいろいろな事件が起きると(笑)。

 

芹沢 (笑)。

 

港 ひとつの小さな旅行記としても魅力的なんですけども、この日本独特の温泉文学的な世界にこの本も入ってきてるなと思いますね。書店に温泉文学という棚があったら、そこにあってもいい、そういう性格をもっているなと。でも、そうやって読みだすと、グレゴリー・ベイトソンやSFなどの話題も出てきて、ここがもうひとつの魅力であって。なんですかね、この本読んでいると、やっぱり温泉につかってね、日頃のストレスから解放されて、なんかふわーっとちょっとリラックスできる、そんな本だと思いますね。



【2】肩に力が入っていない芸術祭のコンセプトブック

すでに奥の男は寝ているのか、カーテンを閉めて、自分のベッドに引きこもっている。私もまねをしてベッドに横になり、枕元の壁にある蛍光灯をつけてカーテンを閉めた。堅いベッドと、足を伸ばせばちょうどいっぱいになるこの空間が、思いもかけず心地良い。(『別府』p7)


港 なにより肩に力が入っていないのがいいですよね。これが芸術祭のコンセプトブックなのかと。だいたい芸術祭のコンセプトブックというと、力んでしまうでしょう。俺の、私の、主張を聞いてくれ、というようなものにどうしてもなってしまう。それは本の性格上しょうがないのだけど、この『別府』は全くそうじゃなくて、本を開くとフェリーターミナルの場面から始まって、むしろ最初の数ページを読んで「何やってるんだこの人は?」みたいな気になる(笑)。

 

芹沢 実は最初あまり書くことに気分が乗らなかったんです。ディレクターを三度務めた『混浴温泉世界』の二回目に合わせて、総合プロデューサーの山出淳也さんからの依頼に応えるかたちで書いたものですが、『混浴温泉世界』のコンセプトについては、一回目のときにさんざん話したし、分厚いカタログに書いたりもしていたので、また同じことはしたくないなと。

 

港 それはわかりますね。

 

芹沢 そのとき彼がこんなのだってあるじゃないですかと、引っ張り出してきたのがヨシフ・ブロツキーの書いた『ヴェネツィア 水の迷宮の夢』(以下、ヴェネツィア)だったの。いや、でも、こんなノーベル文学賞作家のように書けって言われてもさと、話したんですよ(笑)。要は彼も形式にはこだわっていなくて、芹沢の書きたいように書いてくれればいいと。そういうこともあって、最初から、いわゆる自分の考えを理屈で主張するようなコンセプトブックという考えはなかったんですね。

 

港 直接的に思想や概念を語るだけでなく、そもそも一体全体ディレクターがどんな人なのか、どんなところに行き、どんなもの食べているのか、そういった「日常」をうまく伝えた方が、最終的には、その芸術祭のことなんて全く知らない土地の作家にも、ディレクターの考えや、コンセプトが共有されるかなとは思いますね。言ってみればディレクターの芹沢さんは作家0号なんですよね。これから作家がたくさん別府にやってくるわけですが、その前のまだ作家が誰もいない段階での、作家0号はこういう人なんです、というのを見せたんだなと思いました。

 

芹沢 そうかもしれないですね。

 

港 実は僕も『あいちトリエンナーレ2016』のディレクターを務めたときに、似たようなことを考えていたんです。芸術祭のテーマを「虹のキャラヴァンサライ 創造する人間の旅」とし、コンセプトを書いたはいいんだけど、言葉で説明するだけでは上手く伝わらない場合もありますよね。参加作家のためのリサーチを開始する前に、僕は写真をやるので、写真を大きく見開きで使った、写真主体のパンフレットを作りました。それを、出会った作家やギャラリーに渡して、芸術祭として今こんなことを考えているんだと伝えていく。ぱっと開いてもらえれば、こういうイメージの旅だなとか、キャラバンなんだなと、伝わっていく。このパンフレットから芸術祭を立ち上げていった経験があったので、そういう意味で、『別府』も、コンセプトブックのあり方として面白い試みだと思いました。



【3】『別府』が生まれるまで

要するに、私は道に迷っていた。だからこうして、ひとり別府にやってきたのだ。なにかを捜しに……。しかし、厄介なことに、捜しものがなんなのか、それさえわからなかった。(『別府』p32)


港 そもそもこの『別府』はどんな経緯で生まれたのですか。

 

芹沢 本の前提に芸術祭があるから、少し長くなるけど、振り返ってみますね。山出さんが代表を務めるBEPPU PROJECTというNPOと出会い、別府で市民主導の国際芸術祭を開催したいから協力してくれと声をかけられたのが2005年でした。翌年、別府を訪れ、それから三年かけて2009年に別府現代芸術フェスティバル2009『混浴温泉世界』というかたちで開催できたんです。最終的に自分が総合ディレクターを務め、八組の海外作家が参加し、別府のまちなかに点在する作品を巡り体験する、また会期中にはダンスや音楽イベントなどもあるフェスティバルとなりました。

 実は僕はこの一回で終わるつもりだったの。2002年にディレクターを務めた帯広での『デメーテル』が頭にあって、一回だけ、真夏の夜の夢のように消えていく、それでいいと思っていたのですが、継続が決まって、山出さんと話すなかで、ではトリロジー、三部作として2012年、2015年とあと二回やろうとなったわけです。

 そして第二回に向けて頼まれたのがコンセプトブックの執筆でした。このタイミングでなぜわざわざ作るのかなと思って話を聞いてみると、要は二回目の難しさですよね。一回目は小さなNPOが中心となりみんなの意識を合わせ求心力を持って進めることができた。ただ二回目となり、規模も大きくなり、関わる人が増える、若い学生が多く手伝いにやってくる、ステークホルダーが増える、これらは全部良いことなんだけども、改めて、どうして別府で芸術祭を始めたのか、芸術祭が必要なのか、そういった根本の部分を再共有するために、コンセプトブックを書いてくれ、ということだった。そうは言っても、さてどう書いたらいいんだろうと。

 

港 そこで、さきほどのヨシフ・ブロツキーの『ヴェネツィア』の話につながるんですね。

 

芹沢 そうなんです。自分の思想をそのまま書いていくという志向性もなければ、また別府の地理学的な情報を書いていくのも、どうも違うと。ただ、考えてみれば、別府というまちと向き合ってやっていく『混浴温泉世界』のような芸術祭を、何も知らない人に伝えていくときに、『ヴェネツィア』のようなひとつの都市が主題になった物語というのは、案外相性がいいのじゃないかと思い直しました。

 また、僕らの世代には良く読まれた、カルロス・カスタネダが書いたドン・ファン・シリーズがあるでしょう。あれが頭に浮かんできたのです。呪術師のドンファンに弟子入りするカスタネダは、ものすごく真面目で、杓子定規で融通の効かない研究者として登場する。読み進めていくと、そんな彼が、ドンファンにいろいろと怒られながら、世界に対する新たな認識を得て、新たな世界に目を開いていく。でも、あの堅物なカスタネダ像というのも、著者によるある種の捏造だと思うんですよね。

 私小説的に書くのは性に合わないけど、そんな風に自分自身をある意味、客観化して、別府というまちで、いろいろなものごとに遭遇しながら、翻弄されながら、教えられたりしながら、移動していく。ギリシア神話の『オデュッセイア』や宮崎駿の映画『千と千尋の神隠し』のような、旅に出ていって、一回りして戻ってくる物語として書いたらどうだろうと。そうすることで読者もいわゆるコンセプトブックとも、観光ガイドともちがう体験として、芸術祭が伝わっていくのではないかと思ったのです。

 それと、港さんには『風景論』というご著書があるけれども、僕自身、2002年の帯広の『デメーテル』から、いやもっと遡れば、アーティストの蔡國強と『万里の長城を一万メートル延長するプロジェクト』をゴビ砂漠でやった頃から、ランドスケープとか、風景とか、美術館などのホワイトキューブから外に飛び出して、風景に働きかけていくプロジェクトをやってきた。これまで現場で、風景に働きかけるひとつのかたちとして、アートがどう機能すべきか、自分は随分習ってきました。それだったらこの本に僕の経験したものを書いておいて、ホワイトキューブ以外で何かをやりたいと思っている若いアーティストやディレクターたちに自分の経験を伝える機会になればとも思ったんです。これが今回再刊する意味があると思った理由のひとつですね。

 

*ABI+P3ミニブックレット「 芹沢高志+港千尋[対談]五感をほぐす温泉文学『別府』」より一部抜粋して掲載。

 

*対談は2020年10月7日、P3 art  and environment(東京)にて行いました。

 

 

 


ABI+P3 ミニブックレット 芹沢 高志+港 千尋 [対談] 五感をほぐす温泉文学『別府』

仕様:中綴じ/B6サイズ/44頁

価格:250円(税込)

発行日:2020年11月20日 

制作・発行:ABI+P3

発売:P3 art and environment

https://p3shop.base.ec/items/37451000

 

もくじ

【1】五感をほぐす温泉文学

【2】肩に力が入っていない芸術祭のコンセプトブック

【3】『別府』が生まれるまで

【4】穴、孔、多孔性世界

【5】ディレクターの醍醐味

【6】別府と広島

【7】日本の温泉地とヨーロッパの温泉地

【8】マイクロヒストリーと旅の感覚