内山 幸子
芸術文化従事者/五領アートプロジェクト
Q1:本書を読んで印象に残っている一文があれば教えてください。
—————— 芹沢|この本は、出だしがいい。実に素晴らしいテンポです。祖母の家の食堂の飾り棚のなかに、幼いチャトウィンは奇妙な皮を見つける。あれなあに?プロントサウルスの皮よ。その皮は、祖母のいとこが南米パタゴニアで発見したものだということだった。
チャトウィンはその一片の皮が欲しくてしかたがない。祖母が死んだとき、あれを頂戴と言うと、母はもう捨ててしまったと彼に告げます。そして米ソの冷戦時代になり、核戦争の恐怖が語られ、避難地としてのパタゴニアに再び意識が向かっていく。もう、ほんとうに鮮やかに、幼少年期の思い出や時代の匂い、様々な想像や妄想が語られて、一気に読み手の気持ちをパタゴニアに向かわせていくんです。そして単身パタゴニアに乗り込んだチャトウィンは、次々にへんてこりんな人や風景に出会っていくんですよね。
港|僕もこの本を読んでいたので、チャトウィンが行ったまちまで行きました。1983年の1月です。これがとんでもないところで、泊まるところもないし、「これはもう帰れないかな」って思うくらい危険な場所でしたね。ほんとうに変な人しか住んでいないんですよ。イギリスから移り住んだ人たちがいて、そこに泊めてもらったんですが、スコットランド的生活を続けていて、3時にお茶が出てくるんですが、おやつがブルーベリーのパイだったりするの。食べられるような植物なんて1本も生えてないのに、「どこから採ってくるの?」みたいな。ここにずっといちゃいけないと思って、すぐに逃げ出しましたね。
パタゴニアを象徴する風景というのは、ものすごく風が強い土地なので、木が斜めに倒れている状態なんですね。木だけじゃなくて人間も、すべてが真っ直ぐになっていないようなところで、1年ぐらいいたら気が狂ってしまうんじゃないかと思うくらいだったな。その先にあるフエゴ島は、そこに輪を掛けて変なところで、少しだけウシュアイアというまちで過ごしましたが、ここから先はないという感じでした。行くか、諦めるか。そういう瀬戸際で、エリートだったチャトウィンは、都市の生活に見切りをつけた。ぎりぎりまで行った人でないと、こんな話は書けないなと思いますね。
[p64 9行目ーp65 19行目]
Q2:その一文から感じたこと、思ったこと、考えたことを教えて下さい。
この箇所全体が、まるで寓話のようでクラクラしました。
芹沢氏が語る『パタゴニア』の出だしのエピソードは、読んだこともない物語世界に、飛び込んだかのような感覚でした。
港氏がチャトウィンが行ったまちを訪ねた話もとても奇妙で、「あれ、これは物語のなかのエピソードだっけ?」と戻って確認したくらいです。特に、おやつにブルーベリーパイを食べるイギリスから移り住んだ人たちの話。「ここにずっといちゃいけないと思って、すぐに逃げ出しましたね」という箇所を、反芻してはどんなまちか想像しています。
昨春、私が住んでいるまちでアートプロジェクトを立ち上げて、「まち」について考えることが多くなりました。そもそも多様な人達の集まり暮らす「まち」が、例えば20年後、30年後に物語として語られるならどんな「まち」なのか、どうあってほしいのか、など。
そして今まで訪れた印象的な「まち」の記憶をグルグル再訪しはじめました。旅に出たくなりました。
「100の読者、100の経験」の詳細はこちら