向坊 衣代
![2017年8月19日 まだ旅の途中の停泊地。本たちも、わたしも、終着駅は、まだ知らない。](https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/dimension=368x10000:format=jpg/path/s29def132cdbff990/image/i2f450c50e0765b06/version/1504598830/image.jpg)
Q1:本書を読んで印象に残っている一文があれば教えてください。
—————— 土偶ってどうやって使われたのか未だにはっきりとはわかっていないんです。日本で発見された土偶の多くは破片になって出片し、別々の場所から出てくる。つまり、もとの場所を記憶している人が、別の場所に運んでいるんですよ。
[p124 7行目 — 10行目]
Q2:その一文から感じたこと、思ったこと、考えたことを教えて下さい。
実はわたしがこの本で一番最初にじっくり読んだのは、最後の、クレジットのところだった。thanks memberの名前をつらつらと眺めていると、この本がそれこそ、これらの人々を乗せたひとつの船みたいに見えてくるように思えたのだ。知らない人も知っている人の名前もあり、なんとなく電車か乗り合いバスで隣り合った人たちと目配せで挨拶したいような気持ちになるが、本は雄弁に沈黙している彫刻のようなもので、そこにある名前もまた彫刻なのだった。でもそれは、ときどきお互いを見せ合いつつも監視しあっているようにも見えるSNSよりも居心地がよいなと思った。
2016年の冬にできた本は、10年前、100年前には読まれない。けれど、2017年の夏に読むことはできて、この先10年後にも、もしかしたら100年後に誰かに読まれるかもしれない。それでも(だからこそ?)全部を読むことはしないでおいた。
一度に全てを読む必要はないし、「ずっと一緒」や「いま」が偉いわけではない。一度離れたものと久しぶりの再会をする(あるいはもう会わない、あるいは全く別の形で出会い直す)ことの豊饒さ。響き合う本や人と出会いがもたらす「土偶」のかけらを集めていきたいなと思っている。
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