『100の読者、100の経験』

 

2017年6月、書籍『言葉の宇宙船 わたしたちの本のつくり方』の刊行から半年後。

わたしたちは、飛び立った本の「その後」を追うウェブプログラム『100の読者、100の経験』をスタートしました。

いくつかの質問やお願いを投げかけ、そのお返事の紹介を通して「読者」経験の一端を記録し、わかちあう試みです。

 

 “読者とは、単に本を読む人というよりは、「魂を持っている」ということだと思うんですよ。

読者が100人いたら、そこには100の魂がある。本が複製物になったときの最大の発見は、100人が読んでいて、100の魂があるということです。

そこに、もう一度立ち返ることができるのではないでしょうか”[p142 編集会議「読者への届け方」より]

 


50×50 Essay

更新50回の節目の機会に、

著者2人のエッセイを掲載します。

 

ここに集まった

50の読者の物語を受けて、

いま、著者が思う読者とは。

 

第2回:芹沢高志(6.19)

第1回:港千尋(6.12)

 

 

読むこと、書くこと。

聞くこと、語ること。

芹沢高志

 

 

『100の読者、100の経験』が始まって以来、私は毎回、ここに寄せられる数々の言葉に驚いてしまう。深い敬意を込めて驚いてしまうのだ。各人が『言葉の宇宙船』のどこかに反応し、それがきっかけとなって自分たちの経験を自分たちの言葉で語り始める。そのみずみずしさ、多様さに驚き、<読む>とは極めて能動的、創造的な行為なのだとあらためて実感する。

 

考えてみれば、『言葉の宇宙船』自体、そうやって始まったと言えなくもない。港千尋さんからの一通の手紙。その文末に書かれてあった「夏への扉の日に。」という一言がまるで合言葉、あるいは合鍵のように働いて、私のなかに潜んでいた数々の扉が開き始める。それが始まりだった。

 

私に<聞く>という行為の創造性に気づかせてくれたのは、「みやぎ民話の会」の小野和子という存在、そして彼女のやり方に深く触発を受けてつくられた酒井耕、濱口竜介の『なみのおと』、『なみのこえ』、『うたうひと』という東北記録映画三部作だった。小野和子は民話の語り部を前にして座り、今日はどんなお話を聞かせてくれるの?と優しく問いかける。すると語り部たちは、頭の中の奥底に仕舞い込んでいた民話たちを解凍でもするかのように、一気に話し始めるのだ。聞き手がいてこそ、語り手が生まれる。

さらに濱口はここで聞くことの力を確信し、聞くことを果敢に演技の方法論に取り込んで、劇映画『ハッピーアワー』をつくりだした。この映画に出演する演者たちは、聞くことに焦点を当てた濱口の「即興演技ワークショップ」の参加者たちだ。5ヶ月に渡ってひたすら聞くことを学び、体験した彼らが、『ハッピーアワー』では演者、語り手となる。それまでほとんど演技経験がなかったにも関わらず、彼らは活き活きと変容し、映画は第68回ロカルノ国際映画祭で最優秀女優賞を受賞した。

 

もちろん聞くことと読むことは違う。しかし私は、『100の読者、100の経験』でも同じような化学反応が起こっているような気がしてならない。聞くことが語ることを誘発し、読むことが書くことを誘発する。

本の外縁で生まれる波紋の連鎖。

本の外縁とは生成の現場なのだ。 

 


読書の深宇宙

港千尋

 

 

わたしがいま手にしている『言葉の宇宙船』には、たくさん書き込みがある。「100の読者、100の経験」の連載のそれぞれの回で、読者が選んだ箇所に下線が引かれている。どんなところが引用されているのかがひと目でわかる。違う人が同じところを選び、別の感想を書いているのも興味深い。パラパラとページを捲りながら、対話の時点では思ってなかったこと、活字にした時点では考えていなかったことに、気づく。そしてだんだん不思議な感じがしてきた。

 

あまり自著を読む返すほうではない。ふつう本にする段階で、著者は執筆から数度にわたる校正にいたるまで幾度も幾度も繰り返し読むから、活字になった時にはもう読む必要がない。たとえ共著であっても、ぜんぶ頭に入っているのだから、あらためてページに下線を引くことなど、ありえない。なんとなくそう思っていたのだが、もしかすると、そうではないのかも、という気がしてきたのだ。本が出来ただけでは、著者はまだ「読めていない」のかも?著者が「自分の活字の読者になる」には、読者の側に出る必要があるのかも?そもそも読者って何だ?

 

「100の読者、100の経験」を読んでいると、本のつくり手が「宇宙船」の外に出て、船外活動を始める様が浮かんでくる。そもそもこの本は、芹沢さんとわたしが、読者としてどんな本を読んできたのかを話すところから始まっている。つまり過去に誰かによって書かれた本の「読者どうしの対話」である。そこから未来の読者によって、どんな本としてのかたちを与えられるか、と展開するわけだが、気づいてみると宇宙船に乗っているのは、著者ではなく読者のほうだった、そんな感じなのだ。

 

こうしてみると、読書というのは、相当に不思議なものである。本が写っている場所の写真も、そうだ。それはまさに読者による読者の風景、外縁としての風景である。でも本を読んでいる姿が写っているわけではないのに、どうして読者の姿を感じるのだろう。読書という行為は、いったいどこで起きているのだろうか。脳のなかなのか、指先なのか。読者というのは、本が生み出す内宇宙のことなのかな?

 ページを捲り思いを巡らせているうちに、ふと気づくと、わたしは戻ってきてしまったようである。「扉」の前に。 

 

 

 



048 猪熊 梨恵
048 猪熊 梨恵
045 菅野 信介
045 菅野 信介
042 安室 久美子
042 安室 久美子
039 遠藤 綾
039 遠藤 綾
036 寺島 千絵
036 寺島 千絵
033 水越 麻由子
033 水越 麻由子
030 上地 里佳
030 上地 里佳
027 辰巳 真理子
027 辰巳 真理子
024 古賀 万理
024 古賀 万理
021 小熊 千佳子
021 小熊 千佳子
018 新見 永治
018 新見 永治
015 高坂 光尚
015 高坂 光尚
012 松山 鮎子
012 松山 鮎子
009 花岡 美緒
009 花岡 美緒
006 松丸 亜希子
006 松丸 亜希子
003 高橋 晴子
003 高橋 晴子
050 蟻川 小百合
050 蟻川 小百合
047 手島 涼仁
047 手島 涼仁
044 内山 幸子
044 内山 幸子
041 N.S
041 N.S
038 黒坂 祐
038 黒坂 祐
035 辻田 美穂子
035 辻田 美穂子
032 三條 陽平
032 三條 陽平
029 原 亜由美
029 原 亜由美
026 清水 裕貴
026 清水 裕貴
023 江原 茗一
023 江原 茗一
020 下山 彩
020 下山 彩
017 安岐 理加
017 安岐 理加
014 向坊 衣代
014 向坊 衣代
011 大橋 直子
011 大橋 直子
008 氏原 茂将
008 氏原 茂将
005 大小島 真木
005 大小島 真木
002 堤 涼子
002 堤 涼子
046 ニメイ
046 ニメイ
043 李 和晋
043 李 和晋
040 渡邉 ひろ子
040 渡邉 ひろ子
037 石神 夏希
037 石神 夏希
034 高槻 真樹
034 高槻 真樹
031 陶山 健
031 陶山 健
028 佐藤 真理
028 佐藤 真理
025 藤原 旅人
025 藤原 旅人
022 河村 実月
022 河村 実月
019 阿部 有希
019 阿部 有希
016 かねさか るみこ
016 かねさか るみこ
013 真子 みほ
013 真子 みほ
010 大高 健志
010 大高 健志
007 大澤 寅雄
007 大澤 寅雄
004 佐藤 李青
004 佐藤 李青
001 長谷川 浩巳
001 長谷川 浩巳


ウェブプログラム『100の読者、100の経験』

 

2017年6月、書籍『言葉の宇宙船 わたしたちの本のつくり方』の刊行から半年後。わたしたちは、飛び立った本の「その後」を追うウェブプログラム『100の読者、100の経験』をスタートしました。

いくつかの質問やお願いを投げかけ、そのお返事の紹介を通して「読者」経験の一端を記録し、わかちあう試みです。

 

[質問・お願い]

・お名前、肩書き/所属を教えて下さい。

・本書を読んで印象に残っている一文(箇所)があれば教えてください。

その一文から感じたこと、思ったこと、考えたことを教えて下さい。400文字以内)

・あなたの『言葉の宇宙船』は今どこにありますか。その様子を写真にとってお送り下さい。写真撮影日と撮影場所も併せて教えて下さい。

 

本プログラムは、「読者」とは何かを考える機会とすると共に、本書との新たな出会いの場になることを目指しています。本書にたびたび登場する「本の外縁」に対する、わたしたちなりのひとつの試みです。

 

曜日更新 *2018年1月より、基本火曜日更新に変更になりました。